賀状版画

昭和38年(1963年)から平成27年(2015年)までの53年間の賀状版画を紹介いたします。

ギャラリー


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昭和38年(1963) 
「舞妓」

高校1年の年末,「年賀状は版画で行こう。」と思い付き,日本短波放送の受信証のデザインにあった,橋本明治さんの舞子の絵を版画化したものです。


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昭和39年(1964)
「桃太郎」

中国,四国地方の修学旅行の思い出を意識してこのときの題材も,西日本高松放送の受信証のデザインから高松を選んだ。


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昭和40年(1965)
「翁」

全くオリジナルのデザイン
の頃から頑固親父に憧れていたのかも知れない。
高校時代の思い出と言ったら,弘法山でソフトボールをしたこと,竹寅で雑煮やうどんを食べたことしか覚えていない。


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昭和41年(1966)
「天馬」

大阪での学生生活,頑固親父をイメージしてか,日本拳法部に入部。入部して間もなく前歯2本を折られ,同じ下宿屋に下宿していた,大阪歯科大生のところへ飛んで行き治療を受けた



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昭和42年(1967)
「下鴨神社」

下宿先が大阪府と言っても,京都府のすぐ隣である枚方市であったため,ガチャガチャした大阪に出るというより,神社・仏閣の多い京都に出掛ける方が多く,下鴨神社を写真からスケッチして版画化したものです。


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昭和43年(1968)
「弥勒菩薩」

不思議な御仏と申しておきましょう。
このシルエットが何とも言えなく,版画化したものです。
実は,油絵「半跏思惟像」も描いています。


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昭和44年(1969)
「夢殿」

京都・奈良シリーズは続く
学園紛争は,月が経つごとに激しさが増していった。そして学園封鎖。しかし,このことについて,写真にも,詩にも記録として何1つ残されていない。


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昭和45年(1970)
「干支 戌」

 自分の干支でもあるし,学生生活の最後でもあるし,ということで干支である戌にしたのかな?
 この年の4月,社会人1年生となる。大阪万博開催。


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昭和46年(1971)
「御殿山」

学生時代のアパートの窓からの景色が懐かしく,版画として残した。
 「何故,殿山が巴里なのだ  巴里っていったいどんな街な のだ」
この光景に巴里への郷愁じみたものを感ずるときがあった











昭和47年(1972)

喪中のため年賀欠礼


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昭和48年(1973)
「八坂の塔」

この年の5月砥鹿神社にて挙式


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昭和49年(1974)
「干支 寅」

我が家にあった掛け軸の絵を模写し版画化
結婚後,第1号の版画となる。この年,長男誕生


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昭和50年(1975)
「奈良路」

 スケッチを版画化


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昭和51年(1976)
「干支 辰」

「漫画みたいな辰」と言われ
「辰は,漫画ですよ」と応える。



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昭和52年(1977)
「奈良路 U」

関西に未練があるのか,どうも奈良,京都の題材が多くなってしまう。雰囲気が版画に合っているからだろうか。


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昭和53年(1978)
「干支 午」

この年まで豊川市八幡町に住んで居て,安城市に引っ越した。



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昭和54年(1979)
「我家」

前年の暮れに安城で自宅を新築。
記念として残すべく,新築の我家を版画化した。


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昭和55年(1980)
「干支 申」


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昭和56年(1981)
「干支 酉」

この4月,息子が小学1年生


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昭和57年(1982)
「干支 戌」

前年は組合活動に燃えていた。そんな意味もあってか,自分の干支である横綱の狛犬にしたのか?



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昭和58年(1983)
「干支 亥」

干支が4年間続き,この年末の忙しさも手伝って,「版画の手抜き」という噂が社内に広まる。(この年,組合執行委員長に就任)「己を捨てよ!」と言っていた時代である。


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昭和59年(1984)
「干支 子」

前年の手抜きという文句に奮起して,何かから絵を模写して版画化。左下に干支である鼠達が並べられている。この当時,180枚を手刷りしていた。また「20年以上続けている版画を今更止める気にもなれない。」と当時の日記に記されている。


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昭和60年(1985)
「干支 丑」

手抜きをしないようにと彫刻してみたら,版画の板が粗悪品で,急遽手抜きに走らざるを得なかった。
本題材は,12年後に実現させることにした。


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昭和61年(1986)
「六角巻凧[鍾馗]」 

前年の手抜きという批判に奮起


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昭和62年(1987)
「干支 卯」












昭和63年(1988)

喪中のため年賀欠礼


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昭和64年(1989)平成元年
「三河安城駅」

昭和63年に三河安城駅が開設され,記念として版画に残す。東京出張には大いに助かった。


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平成2年(1990)
「エルパソ」

前年のアメリカ エルパソ訪問を記念して,エルパソのイメージをデザインして版画化
このとき,バスで移動中,銃を構えた国境警備隊に制止され,パスポートの提示を求められた恐い記憶が甦る。



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平成3年(1991)
「干支 未」










平成4年(1992)

喪中のため年賀欠礼



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平成5年(1993)
「仕舞」

前年の従兄弟の長男の仲人を記念して版画化
結婚式の当日,謡曲「高砂」まで唸ってしまった。
前年の日記帳を見ると,仲人の挨拶文が綴じられていた。


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平成6年(1994)
「落着いた建物」

息子の大学入学を記念して
版画化

本版画の輪郭(黒色)が「春よ来い」のテーマでTシャツにプリント。
大学祭で相当売れたとか?



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平成7年(1995)
「干支 亥」

前年の暮れ,余りの忙しさに
昭和58年の猪とおなじもの
でデザインを変えて使ったもの


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平成8年(1996)
「ローテンブルグ」

前年の夏,欧州旅行を記念して版画化
ルーブル美術館で撮影したフィルム入りのカメラを露天の商品に気を取られているうちに盗まれてしまいショック


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平成9年(1997)
「干支 丑」

12年前に挑戦し,版画の板の粗悪さで諦めたものをここに実現。


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平成10年(1998)
「干支 寅」

息子の社会人1年生を記念して,息子の干支である寅を版画化



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平成11年(1999)
「干支 卯」

前年の銀婚式を記念して出雲へ行った記念。干支を意識したために変わったデザインに。
このときも「手抜き」と悪評。


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平成12年(2000)
「干支 辰」

前年の「手抜き」との悪評に奮起し,狩野探幽の「雲龍図天井画」を版画化


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平成13年(2001)
「トリノ」

前年,仕事でイタリアのトリノに出張記念に街角の1風景を版画化。このとき,一人で街をぶらつき万年筆屋に飛び込んだ。言葉がまったく通じない。「アウロラ」という言葉と手振りで念願の万年筆を購入した。現在もこの万年筆を愛用している


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平成14年(2002)
「ノーザンホースパーク」

前年,入社30年記念で道南旅行
この時,米国で9.11事件が発生した。
今年の干支が午年であることから,これを版画にした。



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平成15年(2003)
「グランドキャニオン」

前年見学したグランドキャニオンに干支である未とともにデザイン。
この年息子が結婚。
我々は,豊川のこの地に住居を移した。。



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平成16年(2004)
「終の棲家」

前年,26年振りに豊川に戻り,新築した終の棲家を記念として版画に残した。



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平成17年(2005)
「砥鹿神社」

豊川地区地元シリーズ第1弾
我々の結婚式,息子の宮参り,息子の結婚式,孫の宮参り,何かにつけ砥鹿神社で執り行っている。
この年,初孫誕生。



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平成18年(2006)
「三明寺」

豊川地区地元シリーズ第2弾
この三重塔は,1,2層が和様,三層が唐様という珍しい構造で弁財天宮殿とともに国の重要文化財に指定されている。



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平成19年(2007)
「三河八幡宮」

豊川地区地元シリーズ第3弾
前年の八幡地区祭礼で「天宇受売命」役を任された記念に三河八幡宮を版画化。
国の重要文化財に指定されている。



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平成20年(2008)
「本宮山」

豊川地区地元シリーズ第4弾
4歳からの我の全てを見つめていた山は,19歳になったとき,「もうもう,お前は一人前だよ。」と言って,我が三河から出ることを許してくれた。


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平成21年(2009)
「妙善院」

蒲郡市五井山の麓にある小さなお寺。平成20年9月7日に火渡りを体験。
平成21年4月19日には,御砂踏みを体験して来た。遠く三河湾には竹島が望め,心の静まる場所である。



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平成22年(2010)
「青森ねぶた祭」

こ退職後,自由人としての初めての旅行(青森ねぶた,秋田竿灯まつりを見物)。ここでねぶた祭の申し子のような少女のリズミカルな踊りに見とれ,この少女の踊りっぷりを版画として残した。



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平成23年(2011)
「大極殿と朱雀門」

昨年,平城遷都1300年で朱雀門と大極殿を訪れた記念です。手前の人達は,現場の案内板を模写して版画化しました。朱雀門から見た大極殿,とても遠くて小さくて絵になりませんでした。そこで,大極殿を思い切って拡大しデザイン化して見ました。 


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平成24年(2012)
「財賀寺仁王門」

阿形仁王像(右)381cm
吽形仁王像(左)375cm
「阿(あ)」は,口を開いて発する最初の音声なので仏教では物事の始まりを表わし,「吽(ん)」は,口を閉じて発する最後の音声なので,終わりを表わしていると言われている。




平成25年(2013)
「豊川稲荷」

豊川で生まれ育ちながら,豊川稲荷を題材にしていなかった。
この50年間「巳」をデザインしたこともなかった。
個展で干支シリーズと豊川シリーズで双方が必要となり,このようなデザインとなった次第である。




平成26年(2014)
「わら馬」

昨年出合った一冊の絵日記本,元豊川市立中部中学校校長 
白井仁氏著 「肩ぐるまの時代」から(わら馬)の図案と文章を抜粋拝借し,版画にしました。





平成27年(2015)
「国分寺落慶」

平成24年から,国分寺の行事や旧寺院の解体及び親切工事の状況や落慶法要の写真撮影を頼まれ一冊のアルバムに仕上げた記念に版画として残しました。





平成28年(2016)
「国府高校」

平成27年5月の国府高校卒業50年の同期会代表幹事を努め,卒業50年の78ページに及ぶ記念誌を160部作成たことを記念に母校を版画として残しました。


informationお知らせ

2012年6月8日
第1版
2012年6月10日
年号が水色のものは,クリックして拡大します。
2013年2月21日
平成25年の賀状を追加
2014年1月2日
平成26年の賀状を追加
2015年2月15日    
平成27年の賀状を追加
2016年3月10日 
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