昭和38年(1963年)から平成27年(2015年)までの53年間の賀状版画を紹介いたします。
高校1年の年末,「年賀状は版画で行こう。」と思い付き,日本短波放送の受信証のデザインにあった,橋本明治さんの舞子の絵を版画化したものです。
中国,四国地方の修学旅行の思い出を意識してこのときの題材も,西日本高松放送局の受信証のデザインから高松を選んだ。
全くオリジナルのデザイン
この頃から頑固親父に憧れていたのかも知れない。
高校時代の思い出と言ったら,弘法山でソフトボールをしたこと,竹寅で雑煮やうどんを食べたことしか覚えていない。
大阪での学生生活,頑固親父をイメージしてか,日本拳法部に入部。
下宿先が大阪府と言っても,京都府のすぐ隣である
不思議な御仏と申しておきましょう。
実は,油絵「半跏思惟像」も描いています。
京都・奈良シリーズは続く
学園紛争は,月が経つごとに激しさが増していった。そして学園封鎖。しかし,このことについて,写真にも,詩にも記録として
自分の干支でもあるし,学生生活の最後でもあるし,ということで干支である戌にしたのかな?
この年の4月,社会人1年生となる。
学生時代のアパートの窓からの景色が懐かしく,版画として残した。
「何故,殿山が巴里なのだ 巴里っていったいどんな街な のだ」
この光景に巴里への郷愁じみたものを感ずるときがあった。
喪中のため年賀欠礼
この年の5月砥鹿神社にて挙式
我が家にあった掛け軸の絵を模写し版画化
結婚後,第1号の版画となる。
スケッチを版画化
「漫画みたいな辰」と言われ
「辰は,漫画ですよ」と応える。
関西に未練があるのか,どうも奈良,京都の題材が多くなってしまう。雰囲気が版画に合っているからだろうか。
この年まで豊川市八幡町に住んで居て,安城市に引っ越した。
前年の暮れに安城で自宅を新築。
記念として残すべく,新築の我家を版画化した。
この4月,息子が小学1年生
前年は組合活動に燃えていた。そんな意味もあってか,自分の干支である横綱の狛犬にしたのか?
干支が4年間続き,この年末の忙しさも手伝って,「版画の手抜き」という噂が社内に広まる。(この年,組合執行委員長に就任)「己を捨てよ!」と言っていた時代である。
前年の手抜きという文句に奮起して,何かから絵を模写して版画化。左下に干支である鼠達が並べられている。
手抜きをしないようにと彫刻してみたら,版画の板が粗悪品で,急遽手抜きに走らざるを得なかった。
本題材は,12年後に実現させることにした。
前年の手抜きという批判に奮起
喪中のため年賀欠礼
昭和63年に三河安城駅が開設され,記念として版画に
前年のアメリカ エルパソ訪問を記念して,エルパソのイメージをデザインして版画化
このとき,バスで移動中,銃を構えた国境警備隊に制止され,パスポートの提示を求められた恐い記憶が甦る。
喪中のため年賀欠礼
前年の従兄弟の長男の仲人を記念して
結婚式の当日,謡曲「高砂」まで唸っ
前年の日記帳を見ると,仲人の挨拶文が綴じられていた。
息子の大学入学を記念して
版画化
本版画の輪郭(黒色)が「春よ来い」のテーマで
大学祭で相当売れたとか?
前年の暮れ,余りの忙しさに
昭和58年の猪とおなじものでデザインを変えて使ったもの
息子の社会人1年生を記念して,
前年の銀婚式を記念して出雲へ行った記念。干支を意識したために変わったデザインに。
このときも「手抜き」と悪評。
前年,仕事でイタリアのトリノに出張。
前年,入社30年記念で道南旅行
この時,米国で9.11事件が発生した。
今年の干支が午年であることから,
前年,26年振りに豊川に戻り,新築した終の棲家を記念として版画に残した。
豊川地区地元シリーズ第1弾
我々の結婚式,息子の宮参り,息子の結婚式,孫の宮参り,何かにつけ砥鹿神社で執り行っている。
この年,初孫誕生。
豊川地区地元シリーズ第4弾
4歳からの我の全てを見つめていた山は,19歳になったとき,「もうもう,お前は一人前だよ。」と言って,我が三河から出ることを許してくれた。
蒲郡市五井山の麓にある小さなお寺。平成20年9月7日に火渡りを体験。
平成21年4月19日には,御砂踏みを体験して来た。遠く三河湾には竹島が望め,心の静まる場所である。
こ退職後,自由人としての初めての旅行(青森ねぶた,秋田竿灯まつりを見物)。ここでねぶた祭の申し子のような少女のリズミカルな踊りに見とれ,この少女の踊りっぷりを版画として残した。
昨年,平城遷都1300年で朱雀門と大極殿を訪れた記念です。手前の人達は,現場の案内板を模写して版画化しました。朱雀門から見た大極殿,とても遠くて小さくて絵になりませんでした。そこで,大極殿を思い切って拡大しデザイン化して見ました。
阿形仁王像(右)381cm
吽形仁王像(左)375cm
「阿(あ)」は,口を開いて発する最初の音声なので仏教では物事の始まりを表わし,「吽(ん)」は,口を閉じて発する最後の音声なので,終わりを表わしていると言われている。
〒442-0857
愛知県豊川市八幡町弥五郎107